》の国|諏訪《すは》郡のものであつた。T君はあの辺の地理に精《くは》しいので、直ぐ遍路の村を知ることが出来た。併《しか》しこの遍路は一生かうして諸国を遍歴してどこの国で果てるか分からぬといふのではなかつた。国には妻もあり子もあつたが、信心のためにかうして他国の山中をも歩き、今日は那智を参拝して、追々帰国しようといふのであるから前途はさう艱難《かんなん》ではなかつた。T君は朝鮮|飴《あめ》一切れを出して遍路にやつた。遍路はそれを押しいただき、それを食べるかと思ふと、胸に懸けてある袋の中に丁寧にしまつた。

 僕などは、この遍路からたいへん勇気づけられたと謂《い》つていい、さうして遂に大雲取も越えて小口の宿に著いたのであつた。実際日本は末世《まつせ》になつても、かういふ種類の人間も居るのである。遍路は無論、罪を犯して逃げまはつてゐる者などではなかつた。遍路のはいてゐる護謨底《ごむそこ》の足袋を褒《ほ》めると『どうしまして、これは草鞋《わらぢ》よりか倍も草臥《くたび》れる。ただ草鞋では金が要《い》つて敵《かな》ひましねえから』といふのであつた。これは大正十四年八月七日のことである。

 一夜《いちや》明けて、僕等は小口の宿を立つて小雲取の峰越をし、熊野|本宮《ほんぐう》に出ようといふのである。そこでまた先達を新規に雇つた。川を渡つたりしてそろそろのぼりになりかけると、細《こまか》い雨が降つて来た。僕等はしばし休んで合羽《かつぱ》を身に著《き》はじめた。その時|遙《はるか》向うの峠を人が一人のぼつて行くのが見える。やはり此方《こつち》の道は今でも通る者がゐるらしいなどと話合ひながら息を切らし切らし上つて行つた。
 三十分もかかつて、やうやく一つの坂をのぼりつめるとそこで一段落がつく。そこに一人の遍路が休んでゐた。さつきの雨が既にあがつてゐるので遍路は茣蓙《ござ》を敷いてそのうへで刻煙草《きざみたばこ》を吸つてゐた。見晴らしが好く、雲がしきりに動いてゐる山々も眼下になり、その間を川が流れて、そこの川原《かはら》に牛のゐるのなども見えてゐる。
 僕等もそこで暫時休んだ。遍路は昨日のと違つて未だ若い青年である。先程見た一人の旅人《たびびと》はこの遍路であつたのだから、遍路は彼此《かれこれ》三十分も此処《ここ》に休んで居るのであつた。遍路は眼が悪いといふことを云つた。なるほど彼の眼
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