母は入用《いりよう》の荷物を負うて、青根《あをね》温泉に湯治《たうぢ》に行つたことがある。青根温泉は蔵王山を越えて行くことも出来るが、その麓《ふもと》を縫うて迂回《うくわい》して行くことも出来る。
 父の日記を繰つて見ると、明治十九年のくだりに、『八月七日。雨降。熊次郎、おいく、茂吉、青根入湯に行《ゆく》。八月十三日、大雨降り大川の橋ながれ。八月十四日。天気|吉《よし》。熊次郎、おいく、茂吉三人青根入湯|返《がへ》り。八月廿三日。天気吉。伝右衛門《でんゑもん》、おひで、広吉、赤湯《あかゆ》入湯に行。九月|朔《ついたち》。伝右衛門、おひで、広吉、赤湯入湯かへる』。ここでは、父母が僕を連れて青根温泉に行つたことを記し、ついで、祖父母が僕の長兄を連れて、赤湯温泉に行つたことを記してゐる。父の日記は概《おほむ》ね農業日記であるが、かういふ事も漏らさず、極く簡単に記してある。青根温泉に行つたときのことを僕は極めて幽《かす》かにおぼえてゐる。父を追慕してゐると、おのづとその幽微になつた記憶が浮いてくるのである。
 父は小田原|提灯《ちやうちん》か何かをつけて先へ立つて行くし、母はその後からついて行
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