しない。そのうち、書物の発行書店のまへを通りすぎてしまつた。僕はなぜ父はそんなに吝嗇《りんしよく》だらうかなどと思ひながら父の後ろを歩いたのであつた。
7 日露の役
日露戦役のあつたときには、僕はもう高等学校の学生になつてゐた。日露の役には長兄も次兄も出征した。長兄は秋田の第十七聯隊から出征し、黒溝台《こくこうだい》から奉天《ほうてん》の方に転戦してそこで負傷した。その頃は、あの村では誰彼《だれかれ》が戦死した。この村では誰彼が負傷したといふ噂《うはさ》が毎日のやうにあつた。恰《あたか》も奉天の包囲戦が酣《たけなは》になつた時であつただらう。夜半を過ぎて秋田の聯隊司令部から電報がとどいた。そのとき兄嫁などはぶるぶるふるへて口が利けなかつたさうであつた。父は家人の騒ぐのを制して、袴《はかま》を穿《は》きそれから羽織を著《き》た。それから弓張《ゆみはり》を灯《とも》し、仏壇のまへに据わつて電報をひらいたさうである。そのことを僕が偶※[#二の字点、1−2−22]《たまたま》帰省したりすると嫂《あね》などがよく話して聞かせたものである。
父は若いころ、田植をどりといふのを習つて
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