とその奥の方にはゆつくりまはる渦があつて、そのうへを不断の白い水泡《みなわ》が流れてゐる。その渦の奥の奥が竜宮まで届いて居るといつて童どもの話し合ふのは、彼等の親たちからさう聞かされてゐるためであつて、それであるから縦《たと》ひ大人であつてもそこから余程|川下《かはしも》の橋を渡るときに、信心ふかい者はいつもこの淵に向つて掌《てのひら》を合せたものである。その淵も瀬に移るところは浅くなつてその底は透き徹《とほ》るやうな砂であるから、水遊《みづあそび》する童幼《どうえう》は白い小石などを投げ入れて水中で目を明いてそれの拾競《ひろひくら》をしたりするのであつた。
 旧暦の六月廿六日は『酢川落《すかお》ち』の日であつたけれども、もう午過ぎであるから多くの人は散じてしまつて、恰《あたか》も祭礼のあとの様な静かさが川の一帯を領して居た。弱くて小さい魚は死骸《しがい》となつて川の底に沈み、なかには浮いて流れてゐるのもある。割合に身が大きく命を取留めた魚は川下に下れる限り下つたのもあり、あるものは真水の出《い》づるところにかたまつて喘《あへ》いでゐるのもある。さういふ午過ぎに十四ぐらゐを頭《かしら》
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