のであつたが、今は小さい芽が枝の尖端《せんたん》のところから萌えいでてゐる。
その漆の木のところに行くと、童子はみんなに列《なら》ぶやうに言附けた。そして自分で漆の芽を摘み取ると芽の摘口《つみぐち》から白い汁が出て来た。童子はみんなに腕をまくらせて、前膊《ぜんはく》の内面のところに漆の汁で女陰と男根とを画《ゑが》いた。女陰などといふとすさまじく聞こえるが、実は支那の古篆《こてん》の『日』の字のやうな恰好《かつかう》をしてゐるものに過ぎない。男根でもさうである。皆 〔Pra:putium〕 などが無く思ひきり単純化されたものである。中江兆民は癌《がん》に罹《かか》つて余命いくばくもないといふとき、「一年有半」といふ随筆を書いた。そのなかに慥《たし》か、『陰陽二物』の何のと云つて日本国を貶《けな》してゐたとおもふが、あれは無理だ。羅馬《ロオマ》は無論|巴里《パリ》に行つても、倫敦《ロンドン》、伯林《ベルリン》に行つても、さういふ邪気の無い絵はいくつも描いてある。この童子もただ邪気の無い絵をかいたに過ぎない。童子はそれでも漆の芽を幾つか取換へたりなどしてそれを描いた。描いて貰《もら》ふと皆
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