ひばしや》が通り、新発田《しばた》の第十六|聯隊《れんたい》も通つた。たまには二頭馬車などの通ることもあり、騎馬の人の通ることもある。珍らしいものの通るときには、宝泉寺まで走つていつて遠目鏡《とほめがね》でそれを見た。
人力車夫が此《こ》の大街道を勢づいて走つてゐるときには心中に一種の誇《ほこり》があつただらう。恰《あたか》もヴアチカノの宮殿を歩いてゐるときに何か胸が開くやうに感ずるが如きものである。僕の父にしてもさうである。父がこの大街道を独占したやうにして歩いてゐたときには、そこにやはり不意識の矜尚《きようしやう》があつたに相違ない。父の剛愎《がうふく》な態度は人力車夫の矜尚の過程に邪魔をしたから、梶棒をどしんと僕の尻に突当てたのである。その不意打《ふいうち》の行為が僕の父の矜尚の過程に著しい礙《さまたげ》を加へたから父は忽然《こつぜん》として攻勢に出《い》でたのではなかつたらうか。
4 仁兵衛。スペクトラ
仁兵衛《にへゑ》は謡《うたひ》の上手で、それに話上手であつた。仁兵衛はいつも日の暮方になると丘陵にのぼつて川に沿うた村だの山ふところに点在してゐる村だのを眺める
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