かつた。僕は事件のあつた時父の背中で声を立てて泣いたことをおぼえてゐる。
僕は明治四十二年に熱を病んで、赤十字病院の分病室にゐたときに、終日少年の頃の回想に耽《ふけ》つたことがある。そしてなぜあの時、人力車夫が梶棒をあんなにひどく突当てたであらうと考へたことがある。この文章を書いてゐる現在の僕がやはりそのことを思ふのと同じであつた。
この街道の開通されるまでは、小山を幾つも越えて漸《やうや》く上山《かみのやま》に行著《ゆきつ》くのであつた。そこは如何《いか》にも寂しい山道で、夜遊《よあそび》に上山まで行く若者が時々道が分からなくなつて終夜そのあたりをさまよふといふやうなことがあつた。上山から魚を買つて夜道すると屹度《きつと》道が分からなくなるといふこともいはれた。夜更けてから、ほうい、ほうい、といふこゑがその山道あたりから聞こえるのはさう稀《まれ》なことではなかつた。
一つの小山の中腹に大きな石が今でもある。それを狼石《おほかみいし》と称《とな》へてゐるのはそこには狼が住んでゐて子を生むと、村の人が食べ物を持つて行つてやる。小さい狼の子が出て来て遊ぶといふやうなことがあつて、夜半
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