大雪にならぬ前に、その鯉池の浚《さら》ひをする方がいいといふので、寒さの厳しい日に父は若者を督促して働いたのが本《もと》で、たうとう痰になつてしまつたといふことであつた。痰になつてからも父はやはり働いてゐた。僕の生れたのは父が痰になつてから後のことである。僕は小さい時は腺病質《せんびやうしつ》でひよろひよろしてゐた。父が痰でなやんでゐたときの子だからだなぞと祖母の云ふのを聞いたことがある。
父は痰持であつたから、水飴《みづあめ》だの生薑《しやうが》の砂糖漬《さたうづけ》などを買つてしまつて置いた。水飴は隣の宝泉寺からよく貰《もら》つて来たやうである。宝泉寺では村人が餅《もち》を搗《つ》くたびに持つて行くので、餅の食べきれないときにはそれを水飴に作つた。いつか宝泉寺では、琥珀《こはく》色の透とほる水飴が甕《かめ》に一ぱいあるのを持つて来て分けて呉れたことを僕は覚えてゐる。父の居ないときに時折兄と僕とがその水飴を盗んで嘗《な》めた。
或る時僕は生薑の砂糖漬をも盗んで来たことがあつた。そして砂糖だけを嘗めて生薑を外に棄《す》てた。外には雪が一めんに降《ふり》積つて居る。生薑が雪の上におち
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