ひに歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大《おほ》地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。
 僕は父の歿したことを知つてひどく寂しくおもつた。そして昼のうちも床のうへに仰向に寝たりすると、僕の少年のころの父の想出《おもひで》が一種の哀調を帯びて幾つも意識のうへに浮上つてくるのを常とした。或る時はそれを書きとどめておきたいなどと思つたこともあつて、ここに記入する『八十吉《やそきち》』の話も父に関するその想出の一つである。かういふ想出は、例へば念珠《ねんじゆ》の珠《たま》の一つ一つのやうにはならぬものであらうか。
 八十吉は父の『お師匠様』の孫で、僕よりも一つ年上の童《わらべ》であつたが、八十吉が僕のところに遊びに来ると父はひどく八十吉を大切にしたものである。読書《よみかき》がよく出来て、遊びでは根木《ねつき》を能《よ》く打つた。その八十吉は明治廿五年旧暦六月二十六日の午《ひる》すぎに、村の西方をながれてゐる川の深淵《しんえん》で溺死《できし》した。
 そのときのことを僕はいまだに想浮《おもひうか》べることが出来る。その日は村人の謂《い》ふ『酢川落《すかお》ち』の日で、水嵩《
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