の老いた父の顔のみが浮んでくるのである。
6 初詣
明治二十九年に丁度僕が十五になつたので、父は湯殿《ゆどの》山の初詣《はつまうで》に連れて行つた。その時父は四十五六であつただらうから現在の僕ぐらゐの年であるがもう腰が屈《まが》つてゐた。これは田畑に体を使つたためであつた。しかしそれまで幾度となく湯殿山に参詣《さんけい》し道中《だうちゆう》自慢《じまん》であつた。
僕も父もしばらくの間毎朝水を浴びて精進し、その間に喧嘩《けんくわ》などを避《さ》け魚介虫類のやうなものでも殺さぬやうにし、多くの一厘銭を一つ一つ塩で磨いて賽銭《さいせん》に用意した。参詣というても今時のやうに途中まで汽車で行くのではない。夜半にならぬ頃に出立して夜の明けぬうち五六里は歩くのである。第一日は本道寺《ほんだうじ》といふところに泊つた。そこまでは村から行程《かうてい》十四里である。第二日は、まだ暁にならぬうちに志津《しづ》といふ村に著いて、そこで先達《せんだつ》を頼んだ。それからの山道は雪解《ゆきどけ》の水を渡るといふやうなところが度々あつた。まだ午前であつたが、湯殿山の谿合《たにあひ》にかかると風の工合があやしくなつてきてたうとう『御山《おやま》』は荒れ出して来た。豪雨が全山を撫《な》でて降つてくるので、笠《かさ》は飛んでしまひ、蓙《ござ》もちぎれさうである。大木の枝が目前でいくつも折れた。それでも先達《せんだつ》はひるまずに六根清浄御山繁盛《ろくこんしやうじやうおやまはんじやう》と唱へて行つた。さうするうち、渡るべき前方の谿は一めんの氷でうづめられてそれが雨で洗はれてすべすべになつてゐる。下手《しもて》の方は深い谿に続いてひどくあぶないところである。僕は恐る恐るその上を渡つて行つたが、そこへ猛風が何ともいへぬ音をさせて吹いて来た。僕は転倒しかけた。うしろから歩いて来た父は、茂吉《もきち》匍《は》へ。べたつと匍へ。鋭い声でさういつたから僕は氷のうへに匍つた。やつとのことでしがみ付いてゐたといふ方が好いかも知れない。さういふことを僕はおぼえてゐる。
『語られぬ湯殿《ゆどの》にぬらす袂《たもと》かな』といふ芭蕉の吟のあるその湯殿の山に僕は参拝して、『初まゐり』の願《ねがひ》を遂げた。鉄《かね》の鎖で辛うじて谿底の方へくだつて行つたことだの、それから、谿間の巌《いは》から湯が威勢よく
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