た。レオナルド・ダ・ヴインチをおもひ起したのはかういふ訣《わけ》である。
『凡《およ》そ児童はその父の能力に就いてどう思惟してゐるか』といふことに就いて、ある時期には児童は父の万能を信ずることがある。さて時が経つと、児童のまへには父は追々と平凡化されて行く。僕の父もその数に漏れなかつた。僕が少しづつ大きくなるに連れて僕の父も益※[#二の字点、1−2−22]平凡化されたから、父が三稜鏡を炎のなかに投じた話などをしても僕は心中感服したことはない。然るに僕が漆瘡《しつさう》であれほど苦しんだ時に、父は極めて平凡にそれを直して呉れた。僕はその時、父には何か知らんやはり特殊の『能力』があるのではあるまいかと思つたのである。ここで父の平凡化は別な色合《いろあひ》を以て姿を変へたのであつた。それから『平凡治癒』といふ概念である。これは実地医家は必ず思当《おもひあた》るに違ひない。疾《やまひ》は幾ら骨折つても癒えぬときがある。さうしてゐて癒ゆるときには極めて平凡に癒えてしまふ。即ち疾を『平凡治癒』の機転に導くのが名医である。
彼の童子から漆の汁で描いて貰つた絵がかぶれて二月も苦しんだけれどもそれは癒えた。癒えたが痂《かさぶた》を結んだところが瘢痕《ばんこん》組織で補はれたと見えてそこに痕《あと》が残つた。その小さい男根図の痕は、小学校を出て中学校に入り中学校を出て高等学校に入るころまでは残つてゐた。僕は風呂に入つたりするとその痕を凝視して追憶にふけることもあつた。然るにその痕はいつのまにかおぼろになつて行き今ではもはやその形を認めることが出来なくなつた。僕もそろそろ初老期へ近づいて来た。南|独逸《ドイツ》の客舎で父の死報に接した時も僕は忽然《こつぜん》として漆瘡のことを想出《おもひだ》し、床のなかで前膊の内面を凝視したけれども形はすでになくなつてゐた。
漆瘡に、生蟹黄調塗とか、蟹沫塗之とか、または蟹殻滑石研細※[#「てへん+參」、121−下−9]之乾者蜜和塗などといふ療方のあるのは漢医方に本づくのであつた。和文に漆まけを癒《いや》しとあるのも亦《また》さうである。父の拵《こしら》へて呉れたものはそんなものではなかつた。油薬のやうなどろどろしたものであつたが、その薬の色やなんかはどうしてもおもひ起すことが出来ない。そのあたりの父の顔も分からない。努めておもひ浮べようとすると、晩年
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