こに行きぬらむこよひもおもひいでて眠れる』と云つた。暫《しばら》くして、『ちがつた。ちがつた。猫ぢやない。犬だわ』と云つて笑つた。これは数日前に居なくなつた犬のことを気にして咏《よ》んだ歌である。
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わがいへの犬はいづこにゆきぬらむこよひもおもひいでてねむれる
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その後は遂に歌を作らずにしまつた。この歌が赤彦君の最終の吟となつたのであつた。
三
廿二日朝、土屋君は僕を伴《ばん》さんのところに連れて行つて呉れた。僕は初対面の挨拶《あいさつ》をし、初診以来熱心の治療に対して謝した。伴さんはその前にも、赤彦君の病状に就いて委しく通信され、また黄疸のあらはれた三月一日には態々《わざわざ》電話で知らせて呉れたのであつた。午《ひる》過ぎに、平福・岩波・中村・土屋の諸君と伴さんと僕と※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]蔭《しいん》山房に出かけた。
家に入るところの道は霜解《しもどけ》がして靴がぬかつた。松樹《まつのき》はもとの儘《まま》だが、庭は広げられてあつた。大正十年の夏に僕夫婦の一夜|宿《とま》つた部屋には炬燵《こたつ》
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