きどころがない。……坐つてゐても玉のやうな汗が額から出る。いかんとも為様《しやう》がないとさう書いてくれ。……そして物をいふと、それだけ疲労するから、静かにしてゐると書いて呉れ、医者もさういつてゐるし、それが己には薬だ』かう云つた。古実君は『かしこまりました』といふと、『用件はそれだけ』『あつちで寝て行つて呉れ』と云つた。
その夜の十時頃、妹の田鶴《たづ》さん、不二子さん、水脈《みを》さん、初瀬《はつせ》さん、健次君、丸山君、藤沢君等を部屋に呼び、『おれはなるべく物を云はぬから、そつちでお茶を飲んで呉れ』と云つた。間もなく、辛うじて身を起し、『明治四十一年浅間山へのぼる。雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野《かみつけ》のやま下野《しもつけ》の山』『明治四十一年十一月とおぼえておけ。日本新聞に出てゐる』と云つた。
その時、赤彦君のうしろに猫がうづくまつて咽《のど》を鳴らしてゐた。これは赤彦君がいつも猫を可哀がるので傍《そば》に来てゐるのであつた。皆が、猫の話をし、夏樹《なつき》さんの猫をいぢめる話などをしてゐると、赤彦君は、『初瀬、歌の原稿を書け』と云つた。そして、『わが家の猫はいづ
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