跡切《とぎ》れ跡切《とぎ》れに、『己《おれ》はな、いかんとも疲労してしまつてなあ。余病のために、黄疸のために、まゐるかも知れん』と云つた。その終の『まゐるかも知れん』のところが急に大ごゑになつて、健康な時の朗々たるこゑを思はせたので、胸がぎくりとしたと古実君が語つた。
廿一日朝、赤彦君は首《かうべ》をあげて、皆《みんな》に茶を飲みに来るやうに云つた。中村憲吉、藤沢古実、丸山東一、久保田健次の諸君、不二子さん、初瀬さんが集まつた。その時、藤沢君の美術学校卒業製作塑像の写真を見せると、『ありがたう。素直だな。しづかなのは一層むづかしいものだ』と云つたさうである。それから、『どうもな。本病より余病の方がえらいやうだ。斎藤もさう云つて来たよ。伴も同じ意見だ。余病が。余病が余病だけですめばいいが、本病にはとりつけないで』とも云つたさうである。僕は、神保博士の意見として、どうも黄疸は単純な加答児《かたる》性のものでなく肝の方から来てゐることを手紙に書いたのであつた。それでも癌《がん》の転移証状であることは書けなかつたのである。赤彦君はそれゆゑ飽くまで黄疸を余病と看做《みな》し、余病を先づ退治して
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