君が立つた。
 上諏訪《かみすは》の布半《ぬのはん》旅館で、中村憲吉君、土屋文明君、上諏訪の諸君と落合つて、そこで一夜《いちや》を過ごした。中村、藤沢両君の話に拠《よ》ると、十七日に、主治医の伴《ばん》鎌吉さんが、赤彦君の黄疸《わうだん》の一時的のものでないことの暗指《あんじ》を与へたさうである。その夜、夕餐《ゆふさん》のとき赤彦君は『飯《めし》を見るのもいやになつた』といつたさうである。十八日に摂津国を立つた中村君は、十九日に※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]蔭山房に著いた。その時赤彦君は、『煙草《たばこ》ももう吸ひたくなくなつた』『ただ静かにしてゐるのが何よりだ』と云つたさうである。翌廿日、中村、藤沢の両君が諏訪|上社《かみしや》に参拝祈願して護符を奉じて来た。赤彦君は、『ありがたう。おれにいただかせろ』といつた。こゑは既にかすかで、一語一語骨が折れる風であつた。夫人の不二子《ふじこ》さんは護符を以て俯伏《うつぶ》してゐる赤彦君の頭《かしら》を撫《な》でた。赤彦君は、『ありがたう』といつた。そして、『きたないとこに置くなよ』と云つたさうである。その夜、藤沢古実君に、言葉が
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