いろ話してくれたまへ』と云つた。それでも種々|歌柄《うたがら》についての短評などをも云つた。気になると見えて発行所のことなどをも云つた。それから、『おれも生きられるものなら生きたいのだが』といふ幽かなこゑも聞えた。その間に僕等に茶を饗《きやう》することを命じたり、ぼんたん[#「ぼんたん」に傍点]を持つて来て食はせることを命じたり、いろいろ細かいところに気が付いてゐた。そして僕等は諏訪湖からとれる寒鮒《かんぶな》の煮たのを馳走《ちそう》になり、酒をも飲んだ。これは一々赤彦君の差図によつたのであつた。僕等は病床の邪魔をしたことを謝しながら、それでも二回まで会つた。その時赤彦君は『何だかこれではあつけないやうだな』と云つた。僕等は、明日二たび邪魔するだらうことを告げて※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]蔭山房を辞した。
 その晩、急に気のゆるんだやうにおぼえて、みんなは布半《ぬのはん》旅館で馬肉を食ひ、坐り相撲を取り、将棋などを差した。百穂画伯は赤彦君の病顔《びやうがん》の写生図を作つた。夜更けて温泉に浴し、静かに眠らうとしたが、心が落付いて来ると赤彦君の顔容が眼前に髣髴《はうふつ》
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