の夜話で紹介した、吹田順助氏訳の「二十世紀の神話」でローゼンベルクは好い事を云つてゐた。『理論と実行との矛盾は、シラーやシヨーペンハワーと同様にゲーテにもある。十九世紀の全部の美学の罪は、それが芸術家の作品に結び付かないで、彼等の言葉を分析したことにある』といふので、彼等といふのは、シラー以下の諸先進のことを指してゐる。私自身の備忘録として原文を引くなら、原文は、〔”An die Werke der Ku:nstler anknu:pfen“〕である。この、〔”anknu:pfen“〕といふ語は、糸などを結ぶことに用ゐられてゐる。つながり、接続、関係、機縁、縁故などといふ意味にもひろがつてゐるが、兎に角、結合してゐて離れない意味がある。ローゼンベルクはその事をいつてゐるのである。
 世の(過去の)芸術批評家や美学者などといふものは、希臘希臘と騒ぎ立てて、何でも希臘を標準として、自分の脚下の芸術を批評しようとして居る。人種も民族もおかまひ無しだ。それでは本当の批評は出来ない。さういふ点ではウインケルマンでもレツシングでも駄目であるし、十九世紀の美学全般が駄目である。なぜかといふに、実際の
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