蜜柑《みかん》一つ奪はれたよりも感じないのである。そこですくすくと育つて行く。この老翁には毫末《がうまつ》の心配も要《い》らぬのである。
 村の鎮守の丁寧に均《な》らされた砂上などには、殆《ほとん》ど極《き》まつて老媼が孫の相手をして遊んで居るのが見あたる。それをよく観察すると、老媼のその一挙手一投足が、いかにも無理がなくて、神からさづけられた為事《しごと》のやうに見える。私の孫相手もまさにその如くであるだらう。この年をしていまだに和歌などを弄《もてあそ》んでをるのは重荷の筈《はず》であるのに、ひとはさうは思はぬであらうか。
 今、二人は低い食卓に対《むか》ひあつて、食事をして居る。ときどき小さな争ひをして泣くが、また直ぐ仲直りをして、片ことの日本語をいふ。日本語の初歩で、『むつみ合』つて居る。日本語は極めて面倒な国語だと云はれるが、彼等もそれを使ふ運命に置かれてゐる。



底本:「斎藤茂吉選集 第十二巻」岩波書店
   1982(昭和57)年2月26日第1刷発行
初出:「群像」
   1950(昭和25)年3月
入力:しだひろし
校正:門田裕志
2006年10月18日作成
青空文庫
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング