ンシヤ、キユウコウ、シンチユウグンなどといふことをもおぼえた。
家に居ると、物差し、箸《はし》箱などを電車に見たて、デデンデデンなどといふ音頭を取つて遊んでをる。新宿、代田二丁め、下北沢などといふこともいふ。
さういふことが児童精神発育の階梯《かいてい》となる。弟の方の孫が一々その模倣をする。兄の方が、おぢいちやま、二階にいつちやいけないといふと、弟の方が、すぐそれをおぼえて私に同じことをうつたへる。本邦でも、石川貞吉博士とか、榊保三郎博士とかが、児童精神の発育状態をしらべ、外国の文献にも載つたことがある。
私は元来、食事するときには孤独で食べるのが好きである。猫が物食ふのを見るに、やはり茶ぶ台などの下に隠れて物を食べて居るが、私もあのやうなのが好きである。旅して旅館に行つても、女中に給仕して貰《もら》はない食事が好きである。これはもつと若い時分からであつて、年寄つてからはますますさういふ傾向になつた。さうであるから、孫どもが私の食事に寄つて来て、何の彼《か》のと要求されるとうるさくて敵《かな》はない。うるさいのに、先づ兄が寄つてくる、つづいて弟が寄つてくる。背にかじりついて食べ
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング