黷ナあるかも知れないと思ふこともある。なほしばらく考ふべきである。
「接吻」の語を、聖書では「くちづけ」と訓じてゐること上記のごとくである。しかし、古来日本では「口づけ」をば口癖《くちぐせ》と同じ意味に使つて来たけれども、接吻の意味には用ゐなかつたやうである。
秘かに思ふに、接吻を「口づけ」と訓《よ》ませたのは、聖書の飜訳以来のことではなからうか。そこで、言海でも、辞林でも、言泉でも、稍古いところで雅言集覧、俚言集覧、倭訓栞あたりでも「口づけ」を接吻の義には取つてはゐない。然るに近頃新しい辞書が出来、古い辞書も増補された。その新しい辞書、増補された辞書を見ると、「口づけ」の条に、接吻に同じなどと瞭然書き記してあるやうになつた。中には、キス或は接吻に同じといふものもある。これは言語変遷の一つの例と謂つて好い。
そんなら、接吻に相当する日本語は古来なかつたかといふに、それはあつた。而して、「口すひ」といふ語で代表されてゐた。秀吉が小田原陣から大阪へ送つた手紙に、「くちをすはせ」といふのがある。つまりあれである。それから、「二つ並んで舞ふ独楽《こま》のちよつとさはつて退いたるは人目忍んで
前へ
次へ
全18ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング