lの注意を牽いた。
 おなじくカイローの博物館に、ゼンヲスレト一世がプタ神を抱いて接吻するところがある。これは石柱の一部分で浮彫になつてゐる。王は神の腹のところを両手で抱いてゐる。神は右手を挙げ右を向き、王は左を向いて、鼻と鼻が既に接してゐるが、埃及流の直線的構図では唇を接せしめることが出来ない。そこで、唇と唇とが未だ少しく離れてゐる。国王が神明に接吻する図なども、旅を来てまたこれから旅をしようとする僕にはめづらしかつた。
 ある時、朝はやくヴエネチアを立つてパドワに来た。そこで基督一代の事蹟をあらはしたジオツトの壁画を見てゐた。そこで二つの接吻を見た。
 一つは、聖ヨアヒムに聖アンナが接吻してゐる図である。石門がかいてあるのは、それは即ち黄金門である。門の口は穹をなしてゐる。それが石橋に続き、石橋の終るあたりで、老いて髯の長い聖ヨアヒムと未だ若い聖アンナとが接吻してゐる。アンナは左手でヨアヒムの頤のへんをおさへ、右の手で後頭をおさへてゐる。ヨアヒムは右手をアンナの左の肩にかけてゐる。その容子《ようす》がいかにも好い。
 穹をなした門の口のところに若い女が四人ゐて皆微笑してゐる。その嬉しさうな面相が四人とも皆違つてゐて、実にいいものである。若い四人は聖アンナの友である。その四人のほかに黒い蔽衣で頭まで蔽うた媼《おうな》がゐる。それは接吻を見ない振してゐる。左方に若い男が右手に籠をさげ左の肩に何か鍬のやうなものを担いでゐる。これもやはり微笑してゐる。聖ヨアヒムと聖アンナの唇は全く触れて描いてゐるが、二人とも目つきは笑つてはゐない。
 二つは、ユダが基督に接吻する図である。炬をかかげてゐるもの、竹槍、棒などを持つてゐるもの沢山、角笛を吹いてゐるもの一人などがかいてあつて、中央にユダが基督の両肩に抱付いて、唇を尖げて接吻しようとしてゐる。二人が目と目とを合せてゐるところである。その左手に短刀で人の耳朶《みみたぶ》を切落したところがかいてある。その短刀の絵具が半ば剥《は》げてゐる。この図は、
 起きよ、我儕《われら》往くべし。我を売《わた》すもの近づきたり、此如《かく》いへるとき十二の一人《ひとり》たるユダ剣《つるぎ》と棒とを持ちたる多くの人人と偕《とも》に祭司の長《をさ》と民の長老《としより》の所《もと》より来る。イエスを売《わた》す者かれらに号《しるし》をなして曰《い》
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