う。只今は米持参でなければ大概の宿屋は宿めないが、この村人の厚意により、握飯をも呉れるならば、自分はその握飯を持ち山中へ分け入り、この川の岸に腰をおろして食べるだらう。さうしてなほ南へ進むうち、川はいよいよ細くなり、道も無くなつて前進を諦めねばならぬところに行くだらう。そこで自分は大体の源をばその辺として、引返す気持になるだらう。大石田の町はづれで最上川に入る朧気川が、かういふ処から発してゐると思うて、一種の満足を覚えるだらう。併しこれはただの空想で、病後の体力が未だそこまでは行つてゐないのである。
荒町の東に延沢《のべざは》といふ部落がある。延沢は、延沢(野辺沢)能登守の旧領で、旧城址、八幡神社、竜護寺があり、六沢には観音堂がある。銀山の盛なころは延沢銀山と称へた程である。
かういふ部落にも興亡の小歴史があり、豊年と凶年と相交代しつつ現在に及んで居るのである。また、部落の古文書などに、『大雨洪水、村山郡諸川沿岸被害多し』などといふのが屡見あたるところを見ると、かくのごとき小さい川といへども大雨の時には恐るべき猛威を示すことが必定である。大石田の川口が、大雨にあたつて驚くべき姿を呈
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