を洗はれたり、汽車の線路を越え、山地に入り、下五十沢《しもいさざは》、上五十沢《かみいさざは》の部落を通り、なかなか遠いところから発してゐるので、自分はそこまでたどることは出来ぬのであつた。
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 この町の東端にオボロケ川といふ支流が灑いで居る。この名は尾花沢町の一部に朧気(オボロケ)といふ処があり、この川が其処を通過するのでこの名がある。このオボロケといふのはどういふ意味であらうか。朧気といふのは必ず当字に相違ない。さうしてひよつとすると愛奴語か何かであるのかも知れない。
 大石田から尾花沢にかけ、石器時代の遺物が出で、大石田浄願寺境内などでは雨後に石鏃が露出するくらゐであるから、必ず愛奴語あるひはその訛などが遺存してゐるやうにもおもはれ、金田一博士などに聞いて見たい言葉である。この支流の川口は大体三間ぐらゐで、ふだんは川原になつて居りその川原を流が三つにも四つにも分かれて、最上川にそそいでゐるのである。それだから、護謨の長靴を穿けばそこを楽に渡ることも出来る。夏には子供らが来て、小石で堤防やうのものを作つたりしては遊んで居るし、十一月の今時分になると、この川の岸に
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