湲として流れて居る。自分にはこの漢熟語は未だ活きて居るが、自分の孫ぐらゐの時代になると、もはやかういふ熟語はその語感が活きてゐないだらう。然らば、ただ、音をたてて流れてゐるとだけに表はすだらう。そこを通つた水は合流して、一つの小さいいきほひをなして最上川にそそぐのである。岸には砂が溜まり、小さい砂丘の如き形をなしたところもあり、増水のときに水に浸つたのが未だ乾ききれずに、自分の穿いたゴム靴が度々ぬかつた。其処の砂地の下に石原になつたところがある。これはもつとひどい増水の時に出来た石河原であらう。砂の上には鶺鴒らしい鳥の足跡などがある。かくの如くにして川幅のひろい、平明な最上川の水に合流してゐるのである。岸に近い水中には小さい魚の子が泳いで、銘々日光の影を持つて居る。これなども病後の自分にとつて哀憐に堪へぬ光景だといつてよい。この両岸の高いのが、つまり大袈裟にいふと断崖が、向う岸から見ると一つの割目になつて居て、一種の趣をなして居るのであつた。
 この平凡な細い支流は、五十沢川《いさざはがは》といひ、源を追尋すると畑地の間をとほり、今宿の部落手前にかかり、人家の前では洗濯をされたり、野菜
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