はじめ家人が起きて警戒して居るが、自分は御免をかうむつて寝てゐた。東京であのやうにひどい空襲を経験して来た後なので、金瓶に来て、何ともいへぬ心の安楽を感じてゐた。五月二十五日には、東京の病院も家も全焼してしまつた。自分の金瓶に行つたころは、村民が竹槍《たけやり》の稽古《けいこ》をしてゐた時分で、競馬場あとに村民が集まり、寺の住職などもそこで竹槍の稽古をした。それから、役場には手榴弾《しゆりうだん》の見本と称するものが二つ置かれてあつて、追々は国民全部に一つぐらゐづつ渡されるといふことであつた。沖繩戦が激烈になり、司令長官も陣歿したといふから、十右衛門の次男の大尉も当然陣歿したに相違ない。皆もさう信じて、十右衛門は葬式の用意などを為《し》はじめた。それから米空軍の編隊が蔵王山のやや西方の空を通つて、神町《じんまち》の飛行場を襲うたが、日本の飛行機は何一つ手出しが出来なかつた。それを現実に見た農民は、はじめて戦の結果を疑ふやうになつた。そのうち彼の強烈な釜石《かまいし》への艦砲射撃が行はれた。その音といふものは、まるで地軸をゑぐるといつたやうな強烈な音であつた。
 自分は不安のうちに時を過
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