ようといふのであつた。さうすると、四月此処に逃げて来る早々に、陸軍軍医学校が山形地方に疎開して来ることになり、上山町の旅館の大部分は軍医学校の病室となり、旅館の主人主婦女中などは職員といふことになつた。従つて旅館廃止といふことになつたので、自分が上山に疎開生活をすることは極めて不自由になつた。そこで金瓶《かなかめ》村斎藤十右衛門方に移居することになつたのである。十右衛門は自分の妹の嫁したところで、自分が生れた家の直ぐ上隣りになつて居る。右の如く、金瓶村は自分の生れた村で、自分は明治十五年生であり、明治廿九年上京したから、まる五十年ぶりで金瓶に二たび住むこととなつたわけである。村では遊び仲間の大部分は歿《ぼつ》して居たが、長生してゐたものも可なりあつた。自分の家に奉公したことのあるサヨといふ女などは九十二歳でまだ働いてゐた。
十右衛門では自分を親切に取扱つて呉れたが、それでもいはゆる疎開者といふ者の寂しい生活をした。ここに来た時には、蔵王山《ざわうさん》は雪をいただいて真白であつたが、追々それも消えて夏になつた。警戒警報から空襲警報が発せられた。夜中に警戒警報が発せられると、十右衛門
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