を食ひ酒を飲んで帰つて行つた。

 自分は今度三年ぶりで東京へ帰つて来た。さうして某日渋谷駅、渋谷駅貨物取扱所をたづねた。無用者立人禁止といふ札がかかつて居り、三年前のあの小山の如き、名状すべからざる荷のありさまと違ひ、フオームにはこぢんまりとして荷が積まれてあつた。自分は今昔の感に堪へぬといつた面持で暫くそこに佇立《ちよりつ》してゐた。それから、日本通運株式会社をたづねてみた。そこは一部の火災であつたらしいが、その隣に別に新築せられ、課長も替はつて居られた。ここは三年前、自分の屡《しばしば》訪れて荷を依頼したところである。さうして空襲の劇甚なころであつた。今は平和にかへり、機関も益《ますます》整頓せられた。自分は此処でも佇立してややしばらく感慨にふけつた。それから美竹町の歯科医院をたづねたが、そのあたり一面が灰燼に帰し、大久保氏の行方も不明であつた。自分は其処《そこ》を去つた。

 自分は二月一たび山形県|上山《かみのやま》町に行き、弟が経営してゐる旅館山城屋に泊つて、疎開の相談をしたのであつた。先《ま》づ山城屋の近くに間借をし、山城屋で食事し、入浴したりして、その借りた部屋で寝起し
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