のために家を取りこぼつてゐる最中であつた。労働服などを著《き》て埃《ほこり》の中で立働いてゐた。致方《いたしかた》がないので、その近くの歯科をたづねると、いづれも休院か廃院の有様であつた。困つてゐると、渋谷美竹町にある大久保歯科医院を教へてくれた人があつたので、訪ねて応急手当を依頼したところが、大久保氏は特別の好意を寄せられ、義歯の割れたところを大急ぎで修繕してくれた。しかし未《ま》だしつくりしないので四五日その歯科医院に通つた。その間にも毎日のやうに空襲警報が発せられたが、自分はついでに丸通を訪問して、自分の荷を動かしてもらふことに努めた。また、吉田勲生氏の恩頼を受けた。さうして四月中ばに自分は上野駅を立つて郷里へ逃げて行つた。それからも荷がなかなか届かず、殆《ほとん》ど諦《あきら》めてゐたところが、だいぶ経《た》つてから荷が届いた。日用生活の品物であつたが、これも彼《か》の小山ほど積まつた荷の名状すべからざる中をくぐり通過して、遙々《はるばる》届けられたのだとおもふと、自分は日本の運輸機関を祝福し感謝したのであつた。人夫《にんぷ》は自分の疎開して居る、十右衛門の炉辺《ろへん》で夕飯
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