て人の挽《ひ》いて来るリヤカーがあるといつた調子で、かういふ方面に全くの素人である自分の如き者にとつては、『名状すべからざる』光景といふべきものであつた。
しかるにこの如き状態の荷物は、毎日動いて居るのである。此処《ここ》に集まつた限りの荷物は兎《と》に角《かく》動いて居るのである。名状すべからざるこの光景は少しづつ整理されつつあるのである。自分はこの運輸機関といふものを讃歎したのであつた。『実に偉いものだ』と独語したのであつた。実に『偉大なる存在』として受取れたのであつた。
自分は三月九日の大空襲の時には、東京青山の自宅にゐた。浅草観音堂の焼けたあの大空襲である。あの時は自分の病院玄関にも焼夷弾《せういだん》の重いのが三つも落下したのであつた。自分はいよいよ覚悟し、郷里に逃れようとして、四月三四日には上野駅から出発するつもりでゐた。ところが四月一日の朝、義歯の床が割れて居ることに気づいた。これは困つた。郷里には善い歯科医が居ないかも知れない。さうすれば何とかして東京でこの義歯を直して行かねばならない。さう思ひ、これまでかかりつけの赤十字社病院前の歯科医を訪ねると、そこは強制疎開
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