遊里の出入などということも、看方《みかた》によっては西洋的な分子の変型であるかも知れないから、文化史家がもし細かく本質に立入って調べるような場合に、当時の医学書生の生活というものは興味ある対象ではなかろうかとおもうのである。
 また、医学の書生の中にも毫《すこし》も医学の勉強をせず、当時雑書を背負って廻っていた貸本屋の手から浪六《なみろく》もの、涙香《るいこう》もの等を借りて朝夕そればかり読んでいるというのもいた。私が少年にして露伴翁の「靄護精舎《あいごしょうじゃ》雑筆」などに取りつき得たのは、そういう医院書生の変り種の感化であった。
 そういう入りかわり立ちかわり来る書生を父は大概大目に見て、伸びるものは伸ばしても行った。その書生名簿録も今は焼けて知るよしもないが、既に病歿したものが幾人かいて、私の上京当時撮った写真にそのころの名残を辛うじてとどめるに過ぎない。

       四

 その頃、蔵前に煙突の太く高いのが一本立っていて、私は何処《どこ》を歩いていても、大体その煙突を目当《めあて》にして帰って来た。この煙突は間もなく二本になったが、一本の時にも煙を吐きながら突立っているさ
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