まは如何《いか》にも雄大で私はそれまでかく雄大なものを見たことがなかった。神田《かんだ》を歩いていても下谷《したや》を歩いていても、家のかげになって見えない煙突が、少し場処をかえると見えて来る。それを目当に歩いて来て、よほど大きくなった煙突を見ると心がほっとしたものである。上京したての少年にとってはこの煙突はただ突立っている無生物ではなかったようである。
 私が東京に来て、三筋町のほかにはやく覚えたのは本所《ほんじょ》緑町であった。その四丁目かに黒川重平という質屋があって、其処の二階に私の村の寺の住職佐原|※[#「宀/隆」、第4水準2−8−9]応《りゅうおう》和尚が間借をして本山即ち近江番場《おうみばんば》の蓮華《れんげ》寺のために奮闘していたものである。私は地図を書いてもらって徒歩で其処に訪《たず》ねて行った。二階の六畳一間で其処に中林|梧竹《ごちく》翁の額が掛かっていて、そこから富士山が見える。私は富士山をそのときはじめて見た。夏の富士で雲なども一しょであったが、現実に富士山を見たときの少年の眼は一期を画したということになった。この画期ということは何も美麗な女体を見た時ばかりではな
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