はなく、辛うじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失《う》せた。私は東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思出して残念がるのであるが、何事も思うとおりに行くものでないと今では諦《あきら》めている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとした事に本づくものがあると知って、それで諦めているようなわけである。
 まえにもちょっと触れたが、上京した時私の春機は目ざめかかっていていまだ目ざめてはいなかった。今は既に七十の齢《よわい》を幾つか越したが、やをという女中がいる。私の上京当時はまだ三十幾つかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」と私に教えた女中である。その女中が私を、ある夜銭湯に連れて行った。そうすると浴場には皆女ばかりいる。年寄りもいるけれども、綺麗《きれい》な娘が沢山にいる。私は故知らず胸の躍るような気持になったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかも知れない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことが分かり、女中は母に叱《しか》られて私は二たび女湯に入ることが出来ずにしまっ
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