の一月と十月とに其処をたずねた。蔵前通を行くと、桃太郎団子はさびれてまだ残っていた。そして市区がすっかり改正されて、道路も舗装道になっているし、一月の時には三筋町の通りで羽子《はね》などを突いているのが幾組もあった。まがり角が簡易食店で西洋料理などを食べさせるところ。その隣は茶鋪、蝦蟇口《がまぐち》製造業、ボール筥《ばこ》製造業という家並で、そのあたりが私のいた医院のあとであった。その隣はカバン製造業、洋品店、玩具《がんぐ》問屋、煙草《たばこ》店、菓子店というような順序に並んでおり、路地に入ってみると、元庭であったところにもぎっしり家が建っており、そのあたりの住人も大体替ってしまっていた。その頃の煙草屋も薬種商も、綿屋も床屋も肉屋も炭屋も皆別な人で元のおもかげがなかった。私の気持からいえば先ずリップ・ワン・ウィンクルというところであった。
 一月の時には私は鳥越神社にも参拝した。神殿も宝庫も震災後|新《あらた》に建てられたもので、そのころ縁日のあったあたりとは何となく様子がかわっていた。それから北三筋町の方へも歩いて行って見た。今は小さい通りも多くなって、電車通に向いて救世軍の病院が立
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