まは如何《いか》にも雄大で私はそれまでかく雄大なものを見たことがなかった。神田《かんだ》を歩いていても下谷《したや》を歩いていても、家のかげになって見えない煙突が、少し場処をかえると見えて来る。それを目当に歩いて来て、よほど大きくなった煙突を見ると心がほっとしたものである。上京したての少年にとってはこの煙突はただ突立っている無生物ではなかったようである。
 私が東京に来て、三筋町のほかにはやく覚えたのは本所《ほんじょ》緑町であった。その四丁目かに黒川重平という質屋があって、其処の二階に私の村の寺の住職佐原|※[#「宀/隆」、第4水準2−8−9]応《りゅうおう》和尚が間借をして本山即ち近江番場《おうみばんば》の蓮華《れんげ》寺のために奮闘していたものである。私は地図を書いてもらって徒歩で其処に訪《たず》ねて行った。二階の六畳一間で其処に中林|梧竹《ごちく》翁の額が掛かっていて、そこから富士山が見える。私は富士山をそのときはじめて見た。夏の富士で雲なども一しょであったが、現実に富士山を見たときの少年の眼は一期を画したということになった。この画期ということは何も美麗な女体を見た時ばかりではない。山水といえども同じことである。
 郷里の上ノ山の小学校には時々郡長が参観に来た。江嘉氏であったとおもうが鹿児島出身の老翁で、英吉利《イギリス》軍艦に談判に行った一行の一人であった。校長に案内されて郡長は紙巻の煙草《たばこ》をふかしながら通る。ホールで遊んでいる児童が立って敬礼をする。そのあとに煙草の煙の香《かおり》が残る。煙は何ともいえぬ好《よ》い香《かおり》で香ばしいような酸っぱいような甘いような一種のかおりである。少年の私はいつもその香に淡い執著を持つようになっていた。しかるに東京に来て見ると、うちの代診も書生どももかつて郡長の行過ぎたあとに残ったような香のする煙草を不断吸っている。ひそかにそれを見ると皆舶来の煙草である。そしてパイレートというのの中には美人だの万国の兵士だのの附録絵がついているので私もそれを集めるために秘《ひそ》かに煙草を買うことがある。煙草ははじめは書生にくれていたが、時には火をつけてその煙を嗅《か》ぐことがある。もともと煙の香に一種の係恋《けいれん》を持っていたのだから中学の三年ごろから、秘かに煙草|喫《の》むことをおぼえて、一年ぐらい偶※[#二の字点、1
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