である。川前《かはまへ》といふ村から大石田へ移転して来た、井刈安蔵といふ人が居た。普段は田舎骨董などを売買してゐるが、魚を捕へることが好きで、またその方の巧者である。ある日|楯岡《たてをか》へ行つた帰りに袖崎《そでさき》駅で下車して大石田へ向つて歩いて来ると、ヘグリに近い小菅《こすげ》村に沿うた最上川に鯉の群が遊泳してゐるやうな気配を感じた。これは所謂『勘』といふ奴で、波だつ紋の具合で直覚したといふのである。安蔵は大石田の家に帰り、昼食を早々に済ませて、投網舟で行つてみたところが、果して鯉がゐた。二尺七八寸ぐらゐの奴が四尾ばかり先行し、同じぐらゐ大きい七八尾がそれにつづいてゐた。安蔵がいきほひ込んで網を打つたところが、手答があつて、実に大きいのが一尾とれた。あとは前に言つた洞窟に隠れてしまつたといふのである。
『さうだなあ、五尺はあつたな、十五貫はあつたべな』などと安蔵は談つたさうである。
友人からこの話を聞いたとき、幾分安蔵の話に法螺も交つてゐるやうな気もした。私はもうこの年になつたので、人の話をその儘受納れない場合もちよいちよいあるやうになり、また今宿のヘグリあたりには屡※[#二
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