の生徒らの後ろの方に立って、式の行われるのを見ていた。独逸《ドイツ》公使伯爵ワルライ氏 Von Arco Valley〈明治三十四年から明治三十九年まで独逸公使であった〉の演説があり、当時の第一高等学校独逸語教師メンゲ氏 Menge の演説があり、第三部三年生からは片山久寿頼氏、二年生からは関口蕃樹氏などが、生徒代表者として出て、何か言ったのであったが、独逸公使の次に額ひろく、眼光鋭く、鬚《ひげ》が豊かで、後年写真版で見たニイチェの鬚のような鬚をもったひとりの学者が、プッチール氏から教を受けた人々の総代として独逸語で演説された。私のそばにいた三年生のひとりが、「あれは呉博士である」とおしえてくれた。『精神啓微』『人身生理学』『人体ノ形質生理及ビ将護』などの著者を私はその時はじめて目《ま》のあたり見たのであった。そして私は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ってふかいなつかしい一種の感動をもって瞬時も免《のが》すまいとしてその人を見たのであった。
明治三十九年七月はじめから法医学教室の講堂で先生の心理学講義があって、七月十一日に終了した。その時私ははじめて先生の講義を
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