うごとき荘厳簡浄の文体からなっているので、いまだ少年であった私がいたく感動して、著者である呉先生の名を今でもよくおぼえていることは、極めて自然的な心の過程であったような気がしてならない。
『精神啓微』の初版を買ってから幾年ぐらい経ってからであったろうか。私は冨山房発行の『人身生理学』〈明治二十六年九月十日初版発行〉を買った。当時私が良教科書として尊敬しておった所の五島清太郎氏著『中等動物学教科書』白井光太郎氏著『中等植物学教科書』山県《やまがた》正雄氏著『中等生理学教科書』〈以上三書共に金港堂発行〉など以外に、『人身生理学』を求め得てひどく喜んだことを想起する。『人身生理学』は中学校程度の教科書としては甚《はなは》だくわしいもので、そのころ知識欲の熾《さかん》であった私の心を刺戟《しげき》したのみでなく、その文章はたとえば、「作業ノ健康ニヨキハ其休止ト適当ニ交代スルニアリ。精励勉強ノミアリテ逸予|休竭《きゅうけつ》ナケレバ精神身体共ニ頽廃《たいはい》スベシ」。あるいは、「人既ニ生ルレバ皆各其体質アリ。筋骨強堅ニシテ肩広ク胸瞠《きょうどう》大ニ毛髪|叢生《そうせい》シ、膚色潤沢ニ歯整ヒ且《かつ》強ク、臓腑|善《よ》ク発達スルモノ之《これ》ヲ強壮ノ体質トシ、之ニ反スルヲ羸弱《るいじゃく》ノ体質トス」などというが如きものであって、いまだ見ぬ著者呉先生を欽慕《きんぼ》する念の募りいたることは推するに決して難くはない。
ある時また私は、『人体ノ形質生理及ビ将護』という合本講義録を買い得た。どこの講習会で講ぜられたものか。明治何年ごろに講ぜられたものか。もはや今の私には分からないが、はじめの方で男子の形態を記載した条《くだり》に、「稜々《りょうりょう》トシテ鋭シ」の句があり、脳髄を説かれた条に、「大脳ハ精神ノ物質的代標タリ」とあるのを、私は忘れずにいた。今春呉先生を祝いまつる会に参列するために、私は東京に帰って来て、中学校時代のいろいろの書物をさがしたが、大方は売ってしまっていたのに、不思議にもこの講義録は行李《こうり》の隅の方から出て来た。そこでしらべてみると、「女子ニハ皮膚下ノ脂肪|富贍《ふせん》ナルガ為ニ形態豊満ニシテ、男子ニハ筋肉腱骨ノ強大ニシテ挺起《ていき》スルガ為ニ其形態稜々トシテ鋭シ[#「稜々トシテ鋭シ」に白丸傍点]」という文章であった。いまだ少年であった頃の私
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