も及ばぬことである。しかも凶事はいやが上にも迫りかゝつて、小諸で育てられたいたいけな令孃たちは、次から次へと、おなじ病魔の手に捉はれて亡くなつてゆかれた――わたくしは今率直にかう云ひ切つておいて、この事實にはあまり深入りしたくない感情に責められてゐる。なぜなれば藤村君はこれも矢張一の分身に外ならぬ「破戒」を藝術界に送り出す代りに淺間の麓で生ひたつたすずらんの花にも比ぶべき愛兒をことごとく、まがつみの犧牲にさゝげられたやうにも當るからである。
 第三の葉書には、同じ年の九月二十七日附で、「大に貴説に反抗いたし定めしにくきやつとの感情を抱きて御歸宅相成りしかと思へば心苦しくこの葉書差上候次第」とある。どういふ風の議論であつたか、それはすつかり忘れてしまつて語るべき端緒も見出せないが、わたくしが象徴主義に夢中になつてゐた折であるから、恐らくはそんなやうな話題からでもあつたらう。それよりもわたくしにとりておもひだされることは、ある日(翌三十九年五月の交か)君を訪ねての歸りに近所までといつて送つて來られた。裏口からすぐ麥畑につづいてゐる。丁度麥の出穗が揃つてかげろふが蒸してゐる中を、肩をならべな
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