がめづらしいのである。それで他室からは一尺以上も下つてゐたので、そこに座つてゐると穴倉めいて書齋といふよりも仕事場といふかたちであつた。
 藤村君の書齋が仕事場であるといふことは、新花町時代の二階住居の模樣をわたくしが始めて見たをりの印象からしてさうであつた。その室内には巖疊な稽古机と煙草盆、その煙草盆すらわざと分厚な材料でこしらへさした品物であるが、すべては主人公の魂とおなじく沈默して整然としてゐた。
 この時代の藤村君には全く死身の覺悟があつた。小諸を切りあげて出て來られるにはそれだけの用意がなくてはならない。その用意としては最初の長篇小説「破戒」がすでに脱稿されてゐた上に、その出版の方法もほぼ熟してゐたことである。それが緑蔭叢書第一編として自力で刊行される運びになるまでの苦心は、いふまでもないことである。それにしても世間がよく君の創作と事業とを重んじ、また理解してゐたといふ點は無論あるにはあつたが、一面詩から小説に轉じた關係もあり、すでに水彩畫家の名作を出してはゐられたわけであるけれども、小説家としての將來は矢張未知數であつたといふところから、文壇的にも、生活上にも、思ひきつて背
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