がめづらしいのである。それで他室からは一尺以上も下つてゐたので、そこに座つてゐると穴倉めいて書齋といふよりも仕事場といふかたちであつた。
藤村君の書齋が仕事場であるといふことは、新花町時代の二階住居の模樣をわたくしが始めて見たをりの印象からしてさうであつた。その室内には巖疊な稽古机と煙草盆、その煙草盆すらわざと分厚な材料でこしらへさした品物であるが、すべては主人公の魂とおなじく沈默して整然としてゐた。
この時代の藤村君には全く死身の覺悟があつた。小諸を切りあげて出て來られるにはそれだけの用意がなくてはならない。その用意としては最初の長篇小説「破戒」がすでに脱稿されてゐた上に、その出版の方法もほぼ熟してゐたことである。それが緑蔭叢書第一編として自力で刊行される運びになるまでの苦心は、いふまでもないことである。それにしても世間がよく君の創作と事業とを重んじ、また理解してゐたといふ點は無論あるにはあつたが、一面詩から小説に轉じた關係もあり、すでに水彩畫家の名作を出してはゐられたわけであるけれども、小説家としての將來は矢張未知數であつたといふところから、文壇的にも、生活上にも、思ひきつて背水の陣を布かれたその處置には、確かに外面から見て危險をおぼえしめるものがあつた。併し文壇に於ける新しい思想の流れは、藤村君をして遂に到るべきところに押進ましめた。自然主義運動の風潮が急であつたといふことは認めておかねばならぬ形勢であつたとしても、その潮流を見事に乘り切つた藤村君の意志と努力とは、自我に徹した意義に於て眞にめざましいものであつた。それゆゑに「破戒」一篇は、その藝術的完成の程度より決められる價値の上下は別問題として、ひろく文壇的に見て、劃時代の作物であることに衆評が一致したといふのも、自然にさうなるべきはずのものであつた。
わたくしの目はまた第二の葉書に觸れる。それはさきの出京の通知から一週日とたゝないほどのことである。日附は八日、「病兒は遂に死去いたし候、このあたりの長光寺といふへ埋葬いたし候」と、書かれてある。周密な準備をめぐらし眞劒な覺悟を以て山の町から東京へ出て來られた藤村君にも、こればかりは全く思ひもかけぬ變事であつたにちがひない。借家の部屋にまで細かく意を用ゐたこゝろの上に、この家庭に於ける悲慘事が突如として襲ひ來つたことは、いかばかりの打撃であつたらう。想像
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