つたらうが、考へて見れば寧ろこの方が佳名であつた。
 この會名の骨字から思ひついたのでもあらうが、獻立がまた振ひすぎてゐた。「尾崎紅葉の墓」といふのが表に見えてゐる。何のことか全く見當もつけかねたが、出された料理には一同が惘れてしまつた。第一食べ方からして分らない。一寸ばかりに切つた牛の骨が皿の中央に轉つて、それに燒パンの一片と竹篦が添つてゐる。主人の説明によれば、竹篦は卒堵婆に擬へたものであり、それを使つて、骨の膸を抉り出して、燒パンに塗つて食べるのだといふことである。これは餘りにもデカダン趣味に墮した嫌ひがあつたといふよりも、主人のふざけ方がちとあくどかつた。紅葉山人はその前年に歿してゐて、こゝは山人の墓域に程遠からぬところである。骨の膸をトオストに塗つて食べるだけならば、それは食通のよろこびさうな乙なものであるにちがひない。しかるにこの始末で、會衆はしたゝか辟易したのである。
 たまたまそんな事柄があつたために大略分ることではあるが、凡骨會がいよいよ龍土會と改まつて一段と生長したのは翌三十八年の新春であつたらう。國木田君の畫報社關係からは小杉、滿谷、窪田、吉江、其他の顏も見えたが
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