でもあったらしい。かれは家長風の権威をもっていた。それを謙虚な言葉に包んで、開発の精神を社会に及ぼそうとした。自然を生活するというのである。
 かれには別様な一面があった。そこでは情意の発作的動揺が見られる。唐突な言動があの不断の平静な態度をかき乱すようなことがある。圧縮したものが急に反撥する。まずそんなものである。もちろんそれは些細《ささい》な事がらの上に起る。気がつかねばそれなりにすんでゆく。それというのもかれには執拗な観念が一つあった。それが狂念となって潜んでいるが、時としては表面にあらわれてかれを脅《おびやか》した。遺伝というものが心頭《しんとう》に絡《から》みついていて離れない。かれはそれを払いのけようとして一生を通じて苦しんでいたものと思われる。狂念をいだいていたところもルソオと相通ずる。そういう狂念の発作があのような間違いを起したといって好い。かれは『新生』においてその事を告白するとともに、極度の節制を護りつづけた。
 藤村にくらべれば花袋は単純である。藤村のように解決のつかぬものを胸中に蔵してはいなかった。妓と酒とはいわば風流のすさびであろう。そういう境地に韜晦《とうかい》して、白眼《はくがん》を以て世間を見下すという態度には出でなかった。南朝の詩でも朗吟すれば維新の志士のおもかげすらあった。それが『蒲団』を書いた花袋である。風流人という文人かたぎの本性においては終始かわらぬものがあったが、ただ一図《いちず》に物を思いこむと、それが強い自負心のうちで高揚される。かれが自然主義に熱中したのもそれがためであろう。
 かれはまた山川に放浪した。藤村のように自然を生活するのではなくて、自然のうちに身心を没却する。山川の勝境にわけ入って人間世界の拘束を忘れようとする。そう見る限り、花袋は人生を煩累《はんるい》と思っていたにちがいない。それで花袋は旅をしつづけた。かれほどよく歩いたものも少い。それにもかかわらず、かれは病んで、自家の屋根の下で、無事に死んで行った。皮肉といえば皮肉である。そう思ってみて、鶴見は一抹《いちまつ》の寂しさを感ずるのである。
 花袋はあれだけの旅行家であっても、ただ一つ、ドオデエのプロォヴァンスというようなものをもたなかった。もしそれがあったなら花袋の文章はもっと精彩を放っていたろう。それはいかにも惜しむべきであったにしろ、自然主義作家のうちで類例を求むれば、やはりドオデエに似寄ったところがあったのではなかろうか。
 天稟《てんぴん》の美しい情緒を花袋はもっている。それを禅に参ずる居士《こじ》が懐くような自負心で掩《おお》うている。実際のところ、かれの情緒はその自負心によって人生の煩累から護られていたのである。
 鶴見は短冊《たんざく》を一枚花袋から貰って、戦禍に遇うまでは、ちょくちょく短冊かけにかけてながめていた。短冊は竜土会《りゅうどかい》であったか、それとも別の会合のおりであったか、いずれにしてもその席上で、酔余の興に乗じて書き散らしたその中の一枚である。鶴見は半切《はんせつ》や短冊をねだって書いてもらうのを好まなかったので、そんなものは一枚も持ってはいなかった。花袋はその夜どういうわけか、その短冊を黙って鶴見に手渡したのである。
[#ここから3字下げ]
山松のあらしのなかに落ちゆく月いかば
かりさびしかるらむ
[#ここで字下げ終わり]
こんな歌が書いてある。感傷的な気分はあっても、読んでみて、それがすこしも瑕《きず》にはならない、好い歌として歌いあげられる。情緒と悟性との調和がそこに見られるからである。
 花袋の月はこうした澄んだ心境にあって、山松のあらしのなかに沈んでいった。花袋は自家の屋根の下で家族にまもられて死んでいったのであるが、その知死期《ちしご》のきわでかれの眼に浮んだのはこの嵐の中の月ではなかったろうか。かれはかれの魂を山の月に托して寂しく目をつぶったのでもあろう。鶴見は妄想がちなそんな考をさえ、繰り返し考え直しているうちにその考に客観性を生じて、今ではそうした考を信じて疑わぬようになっている。

 景彦《かげひこ》の声がする。姿は見せない。その声だけがはっきり聞えてくる。
「藤村も花袋もきみの先輩でかつまた友人であった。その二人のプロフィイルを、どういう考があって、あんな風に描いてみたのだね。素人《しろうと》くさいのはしかたがないとしても、陰影のとりかたなど、まずいね。対比もおもしろくないよ。それはそれとして、二人とも好い死かたをしたという、あのことをきみはどんな意味で言い出したのかそれが聞きたいな。」
「別になんでもないのさ。そう改まって聞かれるとかえって言いにくくなる。藤村は旅に出て死んだというのじゃないが、自分の庵室の静《しず》の廬《いおり》を離れて他の地方で死んでいる。宗祇にしても芭蕉にしてもそうじゃないか。みんなああいう人たちは好い死かたをしている。おれはそう思っているのだ。」
「芭蕉から宗祇へ遡ってみればよくわかるように、人の死かたにも伝統があるね。それでは宗祇からどこに遡れるか、そう問われればぼくは直《ただち》に定家卿というね。」
「いかにも――。」
「そうじゃないか。定家はもちろん旅で死んだというのではない。だがね、好い死かたをしたというのは旅で死んだというだけではないのだろう。芸術に対する執心、その執心のなかに永遠のすがたをみたいという願望、好いかね、その願望がはてしない旅をつづけさせているのだ。芭蕉の「曠野《あらの》の夢、宗祇の月をながめて」といった、あの臨終の言葉にこもるあくがれごこち、どちらも芸術の執心に萌《きざ》さぬものはない。定家とすれば俊成の幽玄から更に自個の立場を明らかにしようとして有心《うしん》を説く。芸術の分野で絶えず完成されぬ旅をつづけていたということになる。そうだろう。」
「おれもそう思っているのだよ。それにしても宗祇はえらかったね。長い間かれを知らずに過してきたのはおれの不覚であった。おれの生涯もまさに尽きようとしている。そんな時になって、やっとかれを知った。一端《いったん》知ってみれば、すぐかれがわが邦《くに》文芸道の第一人者ということが分ったね。実は驚いているところさ。」
「宗祇が『古今集』のやまとうたは人の心を種とするといっているのを釈して、それを元初一念の人の心と断じ、忽然《こつねん》念起、名づけて無明《むみょう》と為《な》すというのはこれだ。無明は煩悩《ぼんのう》だ。この元初の一念が一切万物の根元だといって、「さらば無明の一念より歌もいでくるなり」と確言している。卓見だね。きみもいつかこの『起信論』の忽然念起を挙げて衆生心にすべてをもとづけようとしていたね。」
「そのとおりだ。あんまり察しが好いのであとがこわいよ。でもね、かれが文芸復興期と変革期との交叉《こうさ》する辻に立って法を説いたということは争われない。復興期の人としては、美の伝統者でもあり、美の発見者でもあった。変革期の人としては啓蒙に従事した。そのためには東西に倦《う》むことなき旅をつづけていた。かれには宗教もあり哲学もあり学問もあった。そして人の心に自覚の精神を起して文化の光を認めさせるように努めていた。そういう人格者は見わたしたところ殆どないね。宗祇はたしかに近代文芸の祖と仰がれて好い。おれの結語はそこにあるのだよ。」

 鶴見は景彦との問答を切りあげた。景彦はどうしたものか一度も姿を現わさない。問答が切れたので、鶴見はまた平生どおりの夢を見ている。夢を見るということがかれの生活になっている。その外には能がない。癖といえば癖、病といえば病であろう。あるいは渇望病だという診断が下るかも知れない。そういう病症を癒《いや》すに別の処方のあろうはずはない。やはり夢には夢を与えるに限る。
 海印三昧《かいいんざんまい》ということを鶴見はしきりに考えている。仏が華厳《けごん》を説いたのはその海印三昧を開いたものである。それによって始めて自内証の法が説き示された。三昧の定《じょう》を出て説いたのは通途《つうず》の経文である。定中の説の超越的、含蓄的なるには及ばない。そういってあの宗の人はありがたがっている。一心法界の海に森羅万象が映って一時に炳現《へいげん》すると観るのである。そこに一切法の縁起の無尽があり、事々の無礙《むげ》がある。一々の事象に万象が含まって相交錯して、刹那の起滅に息づいているのである。鶴見はそれを夢が夢と呼《よ》び交《かわ》しているものと考えている。そういう考察が鶴見の思想に媚《こ》びているのである。永劫《えいごう》にわたって夢に夢を見る。そのことはこの世界の本性に適《かな》っている。徒《いたずら》にそんな夢想に溺れて出口を忘れているといわれてもやむをえない。出ることができれば出もしよう。しかも出ることは即ち入ることだ。無理に出るということは考えられない。
 鶴見がこんな妄想に浸っている最中に、景彦の声がまた聞えてきた。今度は馬鹿に丁寧な言葉で物をいっている。
「相変らずですな。そういう説法も見事かは知りませんが、まあわたくしの手なみを見ていてください。あなたに好い夢を見せてあげますよ。」
「気まぐれものの景彦がまた何をしでかすかな。まあ、じっとして見ていてやろう」と独語《ひとりごと》のようにいって、鶴見は黙ってしまう。
 景彦はそれきり音沙汰がない。しばらくして鶴見は退屈して、何気なく向うを見る。その時である。すべての光景が遽《にわか》に一変した。
 現実の刺戟はどこにも見られない。そこには深さもなければ広がりもない。ただうす蒼《あお》い雰囲気があたり一面を掩《おお》うているのである。
 鶴見が壺中《こちゅう》の天地《てんち》なぞというのはこんなものかと思っているうちに、夢が青い空気のなかから搾《しぼ》りだされる。虚無の油である。それがまた蟄伏《ちっぷく》していたくちなわのうごめきを思わせる。気に感ずるような衝動を鶴見も感ぜずにはいられなかった。かれもまたわが身のうちに夢に応ずる夢のけはいを感じたからである。
 鶴見は現われてくる夢を見つめた。最初に目に映ってきたのは白馬である。よく神馬《じんめ》として神社に納めてある、あの馬である。木像のようでもあったが、人を乗せて、静かに足掻《あが》いている。馬のあとには若者がついてゆく。従者なのであろう。
 一|反《たん》ばかりの畑地はよく均《な》らされてある。麦でも直ぐ播《ま》いてよさそうに準備されている。何の種を播くのかとなおよく見ていると、百姓の馬としては、あまりに神威を備えた白馬はふさわしくない。その上に馬が乗せている人物は僧形《そうぎょう》である。鶴見はここでちょっと意外な思いをする。
 馬上の僧形の人物は極めて沈著な声で、うしろを振り向いて、「これ、喜海《きかい》、仕度は好いかな。さあ、一仕事はじめよう。わしもな、きょうは気分がいつになくすぐれているのじゃ。こういう時に仕事をすれば、きっとうまくゆこう。」
 馬上の上人はこういって微笑する。喜海と呼ばれた若者は種壺を抱えて、馬のしりえに引き添って、「さあ、よろしゅうございます」と、いかにも慎しみふかく申し上げて、馬の歩みだすのを待っている。
 上人は馬の手綱を無造作に操る。馬は器械か何かのように動きだす。それでも柔らかい畑地に馬の蹄《ひづめ》はそれ相応の穴を掘ってゆく。その穴に、喜海と呼ばれた弟子は一つ一つ種ものを投げこんでいる。傍《はた》からでは、それがどういう種であるかは想像されない。麦や豆類とはちがって、もう少し大振りな種である。
 馬蹄の跡の窪だまりに放りこまれた種は、喜海の手で丁寧に土がかぶせられる。見る見るうちに、こうやって一|反歩《たんぶ》の種播は終りを告げる。
 蒼みがかった夢の雰囲気がますます濃《こま》やかになる。今やあたりは真青に染められて、そこからほのかの匂いがたっている。夢というものにも鋭敏な感受性があるにちがいない。そしてみずから発《はな》つ芳香におのが官能を酔わしめて、ひそやかに楽しんでいる。それが、ほの
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