かも」とある。鴎外が忘れたというのはその歌を指しているのである。鴎外はなおもこれに註記して、先ず拉典《ラテン》の学名を挙げ、漢名石蒜。まんじゅさげ、したまがり、てんがいばな等の称あり。石見国《いわみのくに》の方言にはえんこうばなともいうとある。
さて石蒜即ち彼岸花の球根が英国に伝播《でんぱ》し栽培されて頗《すこぶ》る珍重がられた事については、別にあの博聞強記を以て鳴らした南方《みなかた》翁に記述の一文があってその由来を詳《つまびらか》にしている。その文は『南方随筆』に収めてある。その書を披《ひら》けば仔細は直ちに明らかになるのであるが、鶴見には今残念ながらそれが出来ない。記憶をたどって概略をいえばこうである。何でも日本から帰航の途《と》に就いた運送船が英国の南海岸で難破し、その残骸は附近の島に打ちあげられた。記憶は確でないがホワイト島であったかと思う。船中には物好きがいて携えて行ったものであろう。それで砕かれた物件に雑《まじ》って彼岸花の球根があったと見える。島の土はその球根をひそかに埋めていた。自然は棄ててばかりは措《お》かない。この孤児のように棄てられていた球根にも季節が来れば花
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