に対してはいつでも興味だけは伸《の》びるままに伸していた。
それで時々思い附くことがある。
その思い附きを趁《お》って空想を馳《は》せることに、鶴見は特に興味を感ずる。新聞社に投じた文章もそうした思い附きの一つに過ぎなかった。勿論科学的研究というようなしっかりしたものでないから根拠が浅い。肩を衝《つ》かれ腰を打たれれば直ぐにも転ぶ。そんなことは厭《いと》ってはいられない。人がためらって口に出さぬことを、ただ思い附きなりに素直にいって置きたい。それが念願である。そしてそんな思い附きでも何かの機縁になって、他日良果を結ぶことでもあればなんぞと、当《あて》にもならぬ先の先を見越して空頼《そらだの》みしていることもあるのである。
現に外国文化の影響は今日の食制の上に痛切な影を投じている。米食と並んで粉食がやがて国俗となろうとしていることである。外来の物を受け入れるにはそれに相応する理由があるのではあるが、それにはまた思いも掛けぬ動機と機縁とがあることも忘れてはならない。
ここに石蒜《せきさん》の一例がある。鶴見はそれを面白い語り草としてよろこんでいる、伊沢蘭軒《いざわらんけん》が石蒜を
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