の色想観である。反逆の魂、執著の業因が創造に依《よ》って浄化させられるまでの、その過程における心理の探討に外ならぬものである。たとえば盲目の大虫が思量の暗黒の底に爬行《はこう》する姿を見る。鶴見はここにも歓喜の予感を貪《むさぼ》り求める。そしてみずからを大虫に擬《ぎ》して、原始的の泥沼のなかを這い廻ることすら厭《いと》わない。そしてまた一回の苦行が終り、その贖いの歓喜を恣《ほしいまま》になし得るとき、徐《しず》かに「南無」と唱えるのである。
過去に悔恨を懐く鶴見には、きょうの朝目《あさめ》の好さもさほどには思われなかった。一度ならず二度までも溜息をついた。それにしても、輪廻に伴う創造観が観相の主題を占め、広汎な苦行世界を彼に見せてからは、彼がそれまで気にしていた小さな過去の悔恨の如きは物の数でもなくなった。彼は救われたような気持になっていて、我知らず、内心の秘密を明してしまった。
そうして見れば、朝目は彼のために決して悪くはなかったのである。
朝日はいよいよ鮮明を増し、露にうるおった木々の青葉は静かに目をさまして一斉にかがやいている。朝日はかくて濡縁《ぬれえん》の端に及び、忽《
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