見わたしたところ殆どないね。宗祇はたしかに近代文芸の祖と仰がれて好い。おれの結語はそこにあるのだよ。」
鶴見は景彦との問答を切りあげた。景彦はどうしたものか一度も姿を現わさない。問答が切れたので、鶴見はまた平生どおりの夢を見ている。夢を見るということがかれの生活になっている。その外には能がない。癖といえば癖、病といえば病であろう。あるいは渇望病だという診断が下るかも知れない。そういう病症を癒《いや》すに別の処方のあろうはずはない。やはり夢には夢を与えるに限る。
海印三昧《かいいんざんまい》ということを鶴見はしきりに考えている。仏が華厳《けごん》を説いたのはその海印三昧を開いたものである。それによって始めて自内証の法が説き示された。三昧の定《じょう》を出て説いたのは通途《つうず》の経文である。定中の説の超越的、含蓄的なるには及ばない。そういってあの宗の人はありがたがっている。一心法界の海に森羅万象が映って一時に炳現《へいげん》すると観るのである。そこに一切法の縁起の無尽があり、事々の無礙《むげ》がある。一々の事象に万象が含まって相交錯して、刹那の起滅に息づいているのである。鶴見はそ
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