づけた上で、客に対《むか》っていたあの潔癖に比べると雲泥の差であるが、かえってこの方が親しみ深くもあった。
 藤村はそれからやがて小諸《こもろ》へ行くことにきまり、その仕度《したく》をしていた時分かとおもう。鶴見は俳人の谷活東《たにかっとう》と一しょに新花町を訪ねたことがある。この訪問は藤村からすすめられて、それに応じたものではなかったか。その辺の細かな事情はよくはおぼえていない。活東は俳人であるが、藤村張りの詩を鶴見よりは器用に書いて、『新小説』などによく投じていた。藤村は活東がかれを敬慕していたことを知っていたにちがいない。そうしてみれば活東を伴って訪ねたのは鶴見のふとした思いつきからではなかったようである。それほどまでには親密になっていなかった。人をつれて行くということなぞは遠慮しなくてはならぬはずである。
 それはとにかく、活東は飄々乎《ひょうひょうこ》とした人物であった。母親とつつましい暮しをしていて、自分は雇員か何ぞになって区役所に勤めていた。かれはおりおり役所を勝手に休んで鶴見の家にやってきて、長話をして行く。拘束されることが何よりも嫌いらしい。勤務などに殆ど頓著《とんち
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