《せんどう》している。そして全体は金色にかがやいている。眩《まばゆ》いようである。
 おかしなことをいうようであるが、この像をながめた後で目をつぶると、鶴見にはその台座の蓮弁が危うげに動いて、今にも散ってゆくかのように見える。事実この蓮弁はその一つ一つが離れてでもいるらしく彫り込んである。そこに彫刀の冴《さ》えが見せてある。せいいっぱい開敷《かいふ》したかたちであろう。そよとの風にもさそわれて散ってゆかぬでもないように思われるのである。
 この浄明寺の阿弥陀像を鑑賞した目で、すぐ先にある弁財天《べんざいてん》を見ることは、鶴見にはいかにもつらかった。先刻休んだ池中の出島に堂構えがあって、その堂内に安置されていた有名な裸体像である。写生的にはよくできていると相槌《あいづち》を打ってみても、これは一箇の人形に過ぎない。
 たまにおもてに出て、ここの国宝館を見て来たということが、鶴見に取っては、かれの生活に、その単調を破る一つの刺戟をもたらした。しかし家に帰りついてみると、精神にまた弛《ゆる》みを生じて、しばらく忘れていた疲労が体をくずおれさした。かれはなさけないと思ったが、悩む脚をなげだし
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