いるのである。小品はその徳利に挿してある。あしらいには熊笹の小葉を利《き》かせてある。この熊笹は庭にいくらでも生《は》えている。それを見たてて取って来たものである。
 鶴見はその花について格別批評もしない。ただ時々目を遣《や》って、ちらりちらりと見ている。技術というものは理論よりも直接なものである。どうやら見苦しくないだけに出来ている。かれはそう思って花を幾度も見返している。
「花を活け上げた時の心持だね。それを軽く扱ってはいけないよ。存分に活かったと思う時には、それに応ずるだけの心持が、たとえ無意識であろうとも、その作者には感ぜられよう。それが華道の精神というものだ。自然に思い当るところのあるものだから、その心持を忘れずに抱いていなくてはいけないよ。技術ばかりでは本当の修業にはならないものだからな。」
 鶴見は娘の静代にそういって諭《さと》していたが、それも終ると、番茶をいれさせて、一口飲んでほっとしていた。

 それから暫《しばら》くたって、鶴見はまた何か忘れていたことを思い起したという気振《けぶり》を見せて、傍《そば》の粗末な本立から、去年の日記帳を引きずり出して繰っている。

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