会が開設される。万事が改まって新しく明るくはなったが、また騒がしくもなった。その騒しさが少年の心を弥《いや》が上にも刺戟した。まだ社会の裏面を渾沌《こんとん》として動きつつあった思想が、時としては激情の形で迸《ほとばし》り出《で》ようとすることがある。
憲法発布の日には、時の文相|森有礼《もりありのり》が暴漢のために刺殺された。事実の痛ましさはめでたい記念日の賑《にぎわ》いに浮き立っていた誰しもの胸を打った。しかしその惨事が国運にどれだけの意義を持っていたかは、当時の少年などに分ろうはずもなかった。ひとり少年とはいわず、然るべき識者にしても恐らくそうであったと思われる。一口にいえば文明開化と国粋思想の相剋《そうこく》である。それが将来に如何なる展開を示すものか、その意義を正しく認識し批判し得るものは恐らく稀であったろうと思う。世間では大部分雷同して森文相の自由主義を攻撃していた。それでも外国文化の移入は国粋思想の抵抗によってそれほどの影響も受けずに、むしろ両々《りょうりょう》相待って進んで行った。国学の再興にしても、その根蔕《こんたい》には文化に対する新しい見解が含まれていた。
時
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